テクノロジーは死んだか。

もちろん返答は「NO」だろう。いや、本当にそうだろうか。まず何をテクノロジーと呼ぶか考えるだけでも面倒そうな話だ。僕たちの目の前の言葉に置き換えよう。

ガジェットは死んだか?

死んだと言い切るにはまだ口の中に肉があるようだし、死んでいないと言えばすぐにソーシャルという外野から凶器(狂気)が飛んできそうである。

なぜガジェットを殺したがるのか?

そちらの方が己の商売に都合がいいからか。はたまたガジェットに群がる秋葉原の住人が気持ち悪いからだろうか。イーロン・マスクやジェフ・ベゾスのロケットやAIの話をしていたほうが頭が良さそうに見えるからだろうか。

そもそも殺したがっている意思などあるのだろうか。

自ら死んで行くものを、それこそ自分に都合のいいように誰かが殺したかのように言いたいだけではないか。叫びのように。

かつての、スピードに熱意が混じり、神龍拳のように行くところまで行くムーブメントはなくなったように思う。iPhoneですら熱を巻き起こせないのである(iPhoneは人類が必要な道具になっただけなのかもしれないが)。

しかし、人々は以前より増してテクノロジーを使っているように思える。ガジェットを通じて。iPhoneでソーシャルネットワークを使い、カメラで撮影をし、デジタルで加工まで施して、自分の知りうる「友だち」にアイデンティティを複製して拡散させる。とんだ狂った未来だ、2017年というのは。

思考をアップデートしよう。いま本当におもしろいものはなんだ。かつてテクノロジーに、インターネットに、そのカルチャーに、ココロを熱くした僕らが繋がることができるイシューはなんだ。考えろ。その思考から何かが生まれると信じて。終。


 

Comments are closed.